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郷土の歴史(小幡篤次郎)

小幡篤次郎(1842-1905)

小幡篤次郎(1842-1905)

【略歴】

天保13年(1842)、中津藩士小幡篤蔵の次男として中津殿町に生まれる。

16歳のとき藩校「進脩館」に入り、23歳で教頭に。

元治元年(1864)、福沢諭吉に誘われ慶応義塾に入塾。

慶應2年~慶応4年(明治元年/1866~1867)まで慶應義塾塾長をつとめる。

明治4年(1871)、福沢諭吉との共著『学問のすゝめ』発行。

明治10年(1877)、欧米各国を歴訪。

明治23年(1890)、慶応義塾の大学部設置にあたって塾長の任に就く。

同年貴族院議員にも選出される。

明治38年(1905)4月16日死去、享年62歳。


小幡篤次郎と小幡記念図書館

小幡篤次郎は江戸末期の1842年、中津に藩士小幡篤蔵の次男として生まれました。

篤次郎は福沢諭吉と親交も厚く、有名な『学問のすゝめ』の共著者の一人でもあります。

『学問のすゝめ』は、郷里中津に学校を開設するため、学問の必要性を記し友人に送ったのが 発端とされています。

この目的を実行するために中津藩主奥平昌邁公は家禄の五分の一、毎年1000石を充て『市学校』を開設。篤次郎は市学校の初代校長となりました。


このように、学問の推進発展につとめた篤次郎は1905年、62歳で病没します。

その遺言によって生誕地である中津市殿町の土地・家屋・蔵書(蔵書の半数は慶応義塾へ)が 寄贈され、小幡記念図書館が設立されました。

小幡篤次郎は、いわば中津の図書館の生みの親なのです。


図書館館内の正面には小幡篤次郎の資料展示室(下図)が設置されています。

小幡篤次郎の訳した本や慶應義塾の写真、詩歌を詠んだ色紙などが展示されています。ぜひ一度、ご覧ください。

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